戯曲『マーキュリー・ファー』の舞台を観て、心に留めておきたいこと、気になることなど思いつくままに書いていきます。
※あくまでも一個人の解釈です
「炎になって燃え上がる」
序盤に出てくるダレンとエルの「ものすごく愛してる」の掛け合い。そのやりとりの最後にエルもダレンも叫ぶように高らかに言い放つ「炎になって燃え上がる」というフレーズ。
この燃え上がる炎というモチーフは全編通して何度となく出てきて、物語の不穏な展開とともにずっとあるものだ。
- 暴動でシマウマが燃え上がりながら走っている
- 父親が自ら火をつけて燃え上がる
- パーティプレゼントが体験したピカッ、ドカン(も炎を連想させる)
- パーティの後は火をつけて燃やす
- パーティゲストのリクエスト設定であるベトナムの戦火
- 爆撃によって最後に燃え上がる(であろう)この町、そしてエルとダレン
「ものすごく愛している」のやりとりの最後がなぜ「俺は炎になって燃え上がる」なのか。
ものすごく愛してる
-だからお前を追いかける
-だからお前をこの手で殴る
-お前は悲鳴をあげる
-もっと蹴ってもっと殴る
-お前は血を流す
-お前をこの手で殺す
-俺は炎になって燃え上がる
戯曲の原文を見ても、最後の炎になって燃え上がるの表現にだけ「you」が入っていない。つまり、お前を燃やすではなく、自分が燃え上がるとなっている。
このやりとりは、狂ってしまった二人の父親が、愛する子供たちを守るという名分で、金づちで殴り、殺そうとする一連の行為と、最後に焼身自殺をはかった衝撃の体験から生まれたものなのだろう。
普通ならこんな体験、恐ろしくて思い出したくもないだろうに、二人は(エリオットはその狂気に気づいているだろうが)あえてその体験を合言葉のように繰り返すことで、父や母に愛されていたこと、そしていかに兄弟二人が愛し合っているかを確認しているのだ。
狂ってしまった姫さえも、歌っていたころの幸せな自分を思い出すための呪文のように「ものすごく愛してる」と二度吟唱する。
悲惨な家族の過去を、現実を生きるための合言葉にするしかないなんて。今という現実がどれほど彼らにとって孤独で厳しいものなのかがわかる。そしてこの恐ろしい言葉の数々をエルとダレンがとても生き生きと嬉しそうに見つめあいながら口にするのが余計に辛い。
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